お知らせ

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2020/04/15

大庭城の歴史

大庭城は中世の城館(じょうかん)ですが、城が所在する城山台地は、古くは縄文時代から平安時代の人々が生活を営んできた場所でもありました。

大庭城は、平安時代後期に活躍した大庭景親(おおばかげちか)の居館跡を扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の家宰(かさい)である太田道灌(おおたどうかん)が城として改修したという地元伝承がありますが、室町時代に記された文書を読むと、大庭景親の館と大庭城は別のところに存在していたことが記されています。

大庭城の築城・廃城年代については、不明な点が多いものの、永正九年(1512)に伊勢宗瑞(いせそうずい)により攻め落とされたと考えられています。その後、大庭城が使用されたのかについては分かっていません。

昭和40年代におこなわれた発掘調査では、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)や堀(ほり)・土塁(どるい)などの遺構(いこう)のほか、かわらけ・国産陶器(こくさんとうき)・舶載磁器(はくさいじき)・炭化米(たんかまい)などが出土(しゅつど)しています。また大庭城に関連した地名として、「表郷(おもてごう)」・「門先(もんさき)」・「裏門(うらもん)」などが現在まで伝えられています。

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